『ラヴソング』第10話(最終回)の感想 その2

モヤモヤ感が大きく、1日経っても不満が収まらない。

■広平の前から消え去る必要性があったのか?

このドラマのメインテーマでもある「ラブソング」。その柱と言える「好きよ 好きよ 好きよ」でさくらはこう書いている(ドラマ上)。「わたしわかっているよ、あなたがそのすべてで愛した人がいることを。壊れた心なんてわたしなおすから。どこにもいかないよ、あなたを守ってみせるから」。

この決意は何だったんだろうか?どこにも行かないで欲しかった。

「わたし失ったことも戦ったことさえもないから」

戦えって。フラれてすらないのに何逃げてんのよ?まだ春乃のことが吹っ切れてないことはわかってるでしょうに。

「あなたの明日に寄り添わせてこのラヴソング」

この詩の続きがSoupと解釈するのが筋ってもんだろう。

■Soupは真美のための曲じゃない

これは男との恋の歌だ。広平やみんなと作った歌であり結婚式のスピーチ代わりという感じではない。この曲に真美への愛と感謝の気持ちをすべて注ぎ込んだというのは嘘っぱちだ。この曲は広平とさくらのための曲と解釈するのが妥当。

■空一はいらなかったのでは?

広平、さくら、春乃、夏希、音楽、吃音、病気などの話だけで十分だった。あまりにもテーマが多すぎて中途半端になってしまっていたのと、二股みたいになることにより、「好きよ 好きよ 好きよ」と「Soup」の歌詞が嘘臭くなってしまった。これだけ好き好き言っておきながら空一とキスしてくっつきそうな気配すら感じさせるストーリーはメインテーマである2つのラブソングを台無しにしてしまったと思う。空一と結ばれたら美しくないし意味ないだろ・・。白けてしまった。

■やはり広平とさくらが結ばれるべきだった

なぜならタイトルが「ラヴソング」であり、「好きよ 好きよ 好きよ」「Soup」という曲はハッピーエンドの曲だから。ラスト広平が空一を見て少しうろたえ、黙って帰って行くシーンと「Soup」という曲はまったく調和しない。空一と、というのは筋違い。これは広平とさくらの曲だから。このドラマは普通に考えれば広平とさくらの『ラブソング』なのだ。なぜそこまで広平が虐げられなければならない?シェリルの仕事を断ってまで佐野さんのために作った曲まで空一に取られる理由はない。はじめは春乃と広平の曲。それにさくらが詩をつけて完成。春乃のことを昇華してさくらと2人でSoupを作曲。これは広平、春乃、さくらの3人のラヴソング。

広平が曲を作り、さくらが詩を作る。広平がギターを弾き、さくらが歌う。2人が想い合ってこそ美しいラヴソングとなる。さくらが好きよ好きよと言いながら空一とくっついてしまったらそこでラヴソングは死んでしまう。ライブで広平のことを想いながら作った曲を歌うさくらの横に空一がいるのもばつが悪い。好きよはもう終わった曲となってしまう。Soupもさくらと空一の曲じゃない。広平がさくらのことだけを想い、さくらが広平のことを想い作った曲だから。その横に空一がいるのは筋が通らない。

■恋のSoupを味わえなかった

これが不満の原因だろう。空一の存在がすべての歯車を狂わしてしまった。まったく調和しない筋悪のストーリーとなった。

■これで終わりではないとも考えられるが・・

仮にこれから2人がくっつくような話が作られたとしても今さらジロー。広平が工場に訪ねてきたことを知ったさくらが広平に会いに行くことは十分に考えられる。しかし、もうこっちの気持ちが冷めてしまっていてボルテージは上がりそうもない。もう忘れたい作品だ。

 

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