不寛容社会

NHKスペシャル『私たちのこれから #不寛容社会』という番組を見ました。

インターネットの登場で誰もが自分の意見を言えるようになったことで激しいバッシング・炎上が日々繰り広げられており、それが個人を傷つけるとともに炎上を避けるために口をつぐんでしまうなどの萎縮を招いてしまうという問題提起でした。個人だけでなく企業や団体の行動にも影響を及ぼしており無視できない社会問題となってきています。

そもそも昔の日本はもっと寛容社会だったのか?

とんでもない誤解で、今ほど寛容になった時代は過去にないでしょう。いい年した大人が結婚もせずフリーターでいたり、パンツが見えそうなスカート、奇抜なファッション、女性の社会進出、外国人との共存、性風俗や水商売人などなど、あらゆることが認められておらず不寛容でした。にもかかわらず誰も声を上げることができなかったので受忍していただけのことです。番組でも説明されていましたが、声を上げると「裏切り者」「不謹慎だ」と村八分・吊し上げにされてしまうので周りに同調していました。無職(非正規を含む)や女性にはとにかく厳しかったと思います。今でも厳しくはありますが昔よりは親も社会も寛容になっています。

そもそも世界は寛容なのか?

どの国にも宗教があり、厳しい戒律が課されている集団が多数いるので寛容とは言えない国がほとんどでしょう。心理学者の中野さんが言われたように、人は誰もが誰か、何かに対して不寛容です。

ではどうすべきか?

それぞれが自分が正しいと思う道を進む。それしかないと思います。1つ1つの粘菌と同じ。間違っていたら謝罪してみんなについていく。長いものには巻かれつつもその中で自分は自分の道を歩いて行く。様々な考えを持つ人間の集団は粘菌の集団と似ている。「自分は正しい!」と言ってみても間違っていたら巨大なうねりの中では相手にされない。逆に正しければ皆がこっちに引っ張られ自分がリーダーにもなることもある。